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福岡地方裁判所小倉支部 昭和43年(わ)479号 判決 1974年1月30日

主文

被告人は無罪

理由

(公訴事実)

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四三年八月二日午前六時三〇分頃、北九州市小倉区大字○○○○×××の×K1方精米所内において、同人の長女K(当時六歳)に対し、同女が一三歳に満たない少女であることを知りながら、強いて自己の陰茎を口にくわえさせたり手でもませたりし、もって強制わいせつの行為をなしたものである。」というにある。

(当裁判所の判断)

第一、本件について検察官の主張する事実のうち、被告人が昭和四三年八月二日午前六時三〇分頃、北九州市小倉区大字○○○○×××の×所在K1方精米内所に赴いたこと、およびその際Kが同所に居合せたことについては、被告人の認めて争わぬところであり、検察官提出の各証拠によってもこれを認めることができる。しかしながら被告人が強制わいせつの行為におよんだとの事実については、証人Kに対する当裁判所の尋問調書三通(昭和四四年一月二四日付、同年二月一四日付、昭和四六年一二月六日付)があるものの、被告人は捜査段階から当公判廷に至るまで終始一貫して右事実を否定しているところである。当裁判所は慎重審理を遂げたすえ、証人Kの右供述のうち、同女が「陰茎を口にくわえさせられたり手でもまされたり」する被害を受けたことについては確信をいだかせるものがあるが、それが被告人の所為によるものであるとする点には後記のとおり、いまなお措信しがたいところがあり、他に被告人の犯行であると認めるに足りる証拠もないので、被告人が本件犯行をなしたと認めるにはなお合理的な疑いをさしはさむ余地があるものとの結論に達した。以下その理由について説明することとする。

第二、本件事案の概略をみるに、≪証拠省略≫を総合すれば次の諸事実が認められる。(なお、前記各証人についての「公判調書中の供述部分」との記載は、便宜、「証言」と表示して引用する。)

(一)  まず、本件につき被告人が犯人として告訴されるに至った経緯は次のとおりである。すなわち、前記K1の妻K2が、昭和四三年八月三日午後七時頃(公訴事実摘示の犯行日の翌日)、自宅において長女K(当時六歳)と冗談話をしているうち、同女が面識のない男から陰茎を口にくわえさせられたり手でもまされたりしたという趣旨の告白をなしたため、その日時について詰問したところ「きのうの朝、戸をあけてやった時に来たおじちゃん。」との返答をなした。K2は直ちに配達に出ていたK1を呼び戻して事柄の顛末を説明し、夫婦で何度もKに対し真偽のほどを確かめたうえ、Kのいう「きのうの朝、戸をあけてやったときに来たおじちゃん。」に該当する人物として心当りの被告人に事情を聞こうと考えるに至った。その際、K1は被告人を自宅に連れ戻ってKに面接させる腹積りもあって、同女に対し「今からおじちゃんを迎えに行ってくるがええかね。嘘を言ったらつまらんぞ。」との趣旨の念を何度も押して出かけた。K1が被告人宅に赴き同人に対し「きのうの朝、米を持って来たのは誰れか。」と質問したところ「俺だ」との返答を得たので、「それならKがいたずらされたと言っとるが。」などと詰問し、同人は「そんな馬鹿なことせんぞ。」と否定していたが、「白黒をつけようや。」などと申し向けて同行を求めた。K1が同日午後八時頃被告人を自宅に連れてきて同人をKに面接させたところ、Kは被告人が犯人である旨肯定する態度をとったので、K1夫婦はKの言動を信じて同月五日本件被害とともに犯人が被告人であるとして告訴したものである。

(二)  つぎに、被告人が公訴事実摘示の日時場所に赴いた時の状況は次のとおりである。すなたち、被告人は前記日時頃自家用軽四輪乗用自動車(ダイハツフェロー。白色。)の助手席と後部トランクに二斗入り米袋を一袋づつ積み込み、後部座席に同僚のUを同乗させて、出勤途中前記K1方へ精米を依頼するため赴き、同人宅精米所出入口前附近路上に前記自動車を東方に向け停車させた。被告人が同所に赴いた時精米所出入口(板戸)およびその西隣りにある事務室出入口(ガラス戸)のいずれも表戸が締っていた。被告人が事務室出入口附近路上から「K1、ここに米を持ってきとるからついとってくれ。夕方取りに来る。」などと声をかけたところ、K1が「おお。そこにおいとけ。」と返答した。K1宅家人はそれまで就寝中であったが、被告人の話声で目を覚まし、K1は話声から顧客が被告人であることを知り、その直後自分の部屋へ来たKに対し「早く戸をあけてやんなさい。」と命じた。被告人がまず助手席に積んでいた米袋を精米所出入口東側の板壁附近に置き、ついで後部トランクに積んでいた米袋を運びにかかったところ、前記Kが精米所出入口板戸二枚(引戸)のうち東側板戸を内側からあけてくれたので、右米袋をそのまま精米所内に運び込み、出入口に近い精米機の横におき、続いて最初戸外においていた米袋を運び込んで並べた。被告人は黒色七分袖の開襟シャツと勤務先から支給された作業用ズボン(押収してある作業用ズボンと同種類。)を着用し、鼻緒付ゴム草履をはいていた。右着用にかかるズボンの前部分はボタン付のものであった。被告人は精米所内へ米袋の搬入を終えて同所を出てから前記自動車内の後部トランクの蓋を閉め、東方(散髪屋の方向)へ向け発進した。その間Uは後部座席で週刊誌を読んでいたものである。

(三)  以上から明らかなように、本件の争点は、被告人が米袋を搬入するため精米所内に現在した数分間に、前記Kに対して強制わいせつ行為におよんだものか否かにかかる。被告人は、捜査段階から当公判廷に至るまで終始右事実を否定して冤罪である旨主張し、Kは被告人から被害を受けたということで一貫している。

第三、ところで、本件において被告人の罪責を決定ずける証拠は、前記にみたとおり被害を受けたというKの証言であるところ、前記証人Kに対する当裁判所の各尋問調書を検討するに、同女は当時六歳の幼児であり、かつ前記各尋問調書はいずれもその後半年以上を経過した時点での尋問供述にかかるので、その証言能力の有無について附言しておくと、前記各尋問調書によって明らかなように、同女の経験したという事実は、陰茎を口にくわえさせられたり手でもまされたりしたという異常かつ単純な事柄であって六歳程度の幼児といえども充分これを理解しうる範囲内のものであり、かつ同女の検察官、弁護人、あるいは裁判官の各尋問に対する応答内容やその供述態度に徴し、その表現内容はいずれも年齢に相応した子供らしい稚拙な言葉使いではあるが、自己の証言する事項の何たるかを理解したうえでその経験したとする事実を供述していることが認められるので、証言能力の存在につき疑問をさしはさむ余地はないものと考える。

第四、そこで、本件被害時の状況につき前記証人Kの供述内容の大要をみてみるに、「私は父から『あけてあげなさい。』と言われて、精米所出入口板戸二枚のうち東側の戸をあけると、顔を知らない男が自動車で来ていた。男は黒い洋服を着て茶色ぽいズボンで草履をはいていた。男は米袋を二つ持って来ていたが、それを戸のあいている方の隅っこに重ねて置いた。男が米袋を置いている時、私は内の方へあがろうとした。すると男が『一寸おいで。』と言って右手を引っぱって戸をあけていない方の隅っこに連れ行った。男は後の方を向いて陰部のあたりをさわっていたが、また私の方を向き『もう一寸隅っこに行こうや。』と言って隅っこに行った。男は横を向いてチャックをおろし陰茎を出し、つぎに私の方を向いて陰茎を私の口に入れた。その時、男は少ししゃがんだようにして立っていた。今度は陰茎を『もんで。』と言ったのでもんであげた。陰茎を手でもんでいた時、男はまっすぐ立っていた。ずっともんであげていたら父の足音がしたので男は陰茎を片づけてチャックをあげ、『今したことは言ったらいけないよ。』と言い残して、車に乗って散髪屋の方向へ逃げた。」という趣旨のものである。ところで前記証人Kの証言には、同女の年齢に伴なう認識不足や記憶ちがいの虞れに加えて、証人尋問の時までに両親や捜査官などから再三被害状況などについて質問され、場合によっては暗示や誘導的質問を受けたであろうことは容易に想像できるところであるから、その信憑性については慎重にこれを吟味する必要がある。

そこで同女の証言によって、同女が陰茎を口にくわえさせられたり手でもまされるという被害を受けたものと認められるか否か、右犯行は被告人によってなされたものと認められるか否かについて証言内容を検討することにする。

第五、まず被害事実の存否について考察するに、証人Kは被害時の状況につき「おじちゃんはちんこを私の喉に入れた。何回も何回もした。喉が変な気持になった。今度は『もんで』と言うから右手でもんであげた。あんまり気持が悪かったのですぐ炊事場の方に行ってうがいをした。」(昭和四四年一月二四日付)、「ちんこを口の中に入れた時はぐにゃぐにゃして気持が悪かった。口の中に入れられた時、私はしゃがんでいた。おじちゃんは少ししゃがんだようにして立っていた。私が手でちんこを持った時は、おっちゃんは立っていた。」(昭和四四年二月一四日付)旨証言しているが、右各証言は年齢に相応した稚拙な表現とはいえ、その体験を体験としてきわめて具体的かつ卒直簡明に伝えていることを如実に看取させるものであり、空想や虚構の事実を供述しているものではないかとの疑念をさしはさむ余地はない。また同女の年齢と被害の性質からして体験なくして空想や見聞で語れるものとも考えがたい。加えて証人K3の証言によると、Kが被害を母親たるK2に告白した経緯動機はきわめて自然かつ自発的なものであったことが認められるなど、Kが被害を受けたことは充分首肯できるところである。

第六、つぎに被告人と本件犯行との結び付きについて考察する。

(一)  前記証人Kの証言をみるに、被告人が犯人であることで一貫しており、被害状況について前後のよどみもなく整然かつ具体的に供述していることは注目に値するところである。また訪問者に対して表戸をあけるに至った経緯状況、訪問者の服装履物、訪問者が車で来ていたこと、搬入された米袋の個数、置場所など、その内容は被告人が赴いた当時の客観的事実状況にも符合している。さらに同女に対する当裁判所の尋問期日(昭和四四年二月一四日、昭和四六年一二月六日)において、被告人および同年輩の男子数名の中から犯人の選択を求められた際にも、同女は躊躇逡巡することもなく被告人を選定している。かかる証人Kの証言内容および証言態度に加えて、被告人と被害者が共に居合せ、犯行をなす可能性を否定できないことに徴すれば、被告人が赴いた時本件犯行がなされたのではないかとの嫌疑を容易に払拭することはできない。

(二)  しかしながら、証人Kの証言を仔細に検討すると次の諸点において被告人が赴いた時の状況と齟齬しあるいは一致していないのではないかとの疑問をいだかしめるところがある。

(1)(イ)、証人Kは、犯人が着用していたズボンの前部分はチャックであった旨証言している。ところで被告人は当日勤務先から支給された作業用ズボンを着用していたもので、右ズボンの前部分がボタンであることは前記認定したとおりである。(この点については右認定に疑問をさしはさむに足りる証拠もなく、検察官も争わぬところである。)

前記証人Kの証言を仔細に検討してみるに、「おじちゃんはチャックをおろしてチンコを出していた。」(昭和四四年一月二四日付)、「いたずらされた時、おっちゃんのちんこが見えた。ズボンのチャックもキラキラしていた。チャックをおろす時はすこしゆっくりやった。逃げて行く時にはチャックをあげてちんこを片づけた。」(昭和四四年二月一四日付)、「おじちゃんのズボンはチャックみたいな音がしたのでチャックだと思う。私はおまわりさんに問われた時はチャックだったと言った。」(昭和四六年一二月六日付)旨供述し、犯人のズボンの前部分がチャックであったことで一貫している。この点につき、検察官は同女の記憶ちがいである旨主張するが、本件被害はズボンの前部分から出した陰茎を口にくわえさせられたり手でもまされたりしたもので、陰茎とズボン前部分とは密着一体の関係にあり、かつ同女にとってきわめて間近かにある認識対象であったことを考えればボタンとチャックの判別は容易になしえたものというべく、それ故にキラキラしていた」との表現にみられるような鮮烈な印象として記憶に残ったものとみるのが相当であり、この点に記憶ちがいがあったとは考えられない。(仮りに同女がボタンをチャックと記憶ちがいをしながら、前記みたような詳細で具体的な供述をなしたとすれば、証人の質問者に対する被拘束性や被暗示性がきわめて高いことを如実に示しているものというべく、同女の証言全体の信憑性に疑問をいだかざるをえない。)

(ロ)、犯人が犯行場所を立ち去るときの状況について、前記証人Kは「おじちゃんはいたずらしたあと、車に急いで乗ってパッと逃げて行った。(昭和四四年一月二四日付)、「おっちゃんはお父さんの足音が聞えると急いで行った。おっちゃんは走っていたように見えた。」(昭和四四年二月一四日付)、「少し急ぎ足みたいにして逃げた。」(昭和四六年一二月六日付)旨証言している。右証言によれば、犯人は父親の近づく足音を聞いて急いで現場を立ち去ったことが窺える。惟うに、犯人が父親の近づく足音で陰茎を手でもませることを止めたとすれば、犯人としては同女に口止めをしたとはいえ、同女から直ちに父親に被害が告知され、あるいは誰何される危惧あることを考えるはずであり、従って犯行場所から早急に逃走しようとするのが通常の心理というべく、この点についての同女の証言は充分首肯できるものがある。しかるに前記証人Uは被告人が精米所を出て自動車に乗り発進するまでに特段急いでいたような状況は認めていない。(なおU証言については後述する。)

(ハ)、前記認定のとおり、被告人が精米所に赴いた時前記自動車の後部座席にはUが同乗していたのであるが、証人Kはこの点につき認識していない。同乗者の存在につき看過して気づかなかったものなのか、あるいは同乗者が存在しなかったため認識しなかったのか判然としないところがあるが、当裁判所の検証調書によれば、被害者と被告人との間に自動車の停車位置について若干の齟齬があるものの、そのいずれであっても、精米所出入口と停車している前記自動車との間隔は約二米位の至近距離であるから、同女が証言しているように、犯人が運転席に乗り込みそのまま東方へ発進する後姿を精米所出入口に居て認めていたのであれば同乗者の存在に気づかないはずはなく、同女が目撃した自動車には同乗者がいなかったのではないかと推認される余地がある。

(ニ)、証人Kは犯人の自動車の色について「水色」みたいな色であった旨供述(昭和四四年一月二四日付)し、右尋問期日において裁判所速記官着用の事務服(ぐんじょう色)を示して、それより薄い色であった旨供述している。のみならず捜査段階を通じ一貫して「水色」という表現を使用していることが窺える。この点につき証人K2は「Kが『お父さんと同じような車』だと言ったとき、それなら水色の薄いような色ねと私が言った。」旨供述し、また「車の色についてKに尋ねていない。」とも供述している。ところで前掲各証拠によれば、被告人の自動車は白色であり、K1の自動車はねずみ色がかった白色であることが認められるところ、K2がK1の自動車の色を「水色の薄い色」と表現したことの真偽はともかくとして、Kが「白色」という表現をせずに捜査段階から一貫して「水色」という表現をしていることはあるいは犯人の車が「水色」に近似したものであったのではないかとの疑問をいだかせる。(とともに、母親が口にした「水色」という表現を聞いてそのまま「水色」という表現を使用しているとするならば、同女はかなり母親等の暗示や誘導的質問による被拘束性を受け易い性癖の証人であることが窺われる。)

(2) ところで証人Kの証言にみられる前記(イ)乃至(ニ)の矛盾乃至疑問点はいずれも被害時および被害後の事実状況に関するものであるが、被害前についての同女の証言すなわち被告人に対し表戸をあけるに至った経緯状況、被告人の服装履物などについては客観的事実状況と符合しながら被害時および被害後についての同女の証言に矛盾乃至疑問点が存するのは、同女の証言が個々の対象についてきわめて具体的で詳細な認識をもちかつ作為が入り込んだと認められる形跡がほとんど窺われないことに徴すると、同女の証言は被告人が精米所に赴いたときの状況についての記憶と他日精米所内で被害を受けた時の状況についての記憶が混同し、被告人を犯人と思い込んで供述しているのではないかとの疑念をさしはさむ余地が生じる。

(三)  そこで前記証人Kが被告人を犯人として特定した時の状況について再度考察してみることにする。蓋し、前記認定のとおり、本件被害の発覚は被害者Kの自発的告白に依拠しているが、犯行日時および犯人の特定は同女の両親の示唆に負うところが大きいからである。被害者Kが母親たるK2に対し冗談話のうちに本件被害の告白をなしたことからK2の詰問がなされているところ、この点についての証人K2の証言は「それはいつのことかと聞くと、『けさのことだ。』と言った。私がけさはそんなおじちゃん来ていないじゃないかと言うと『私がけさ起きて戸をあけてやったとき来たおじちゃんだ。』と言った。それでそれならけさじゃなくてきのうの朝だったよと私が言った。Kは考えていた様子でしたが『ああそう。きのうの朝やったね。』と自分も納得したようであった。」というのである。右証言によると被害者Kは最初「けさ来たおじちゃん。」と説明したにもかかわらず、K2は即座に自分の経験した範囲内になかったこととして「けさはそんなおっちゃんは来ていない」旨打消し、同女が「私がけさ起きて戸をあけてやったとき来たおっちゃん」と言うと、前日早朝の来客のことを想起して「それならけさじゃなくてきのうの朝だったよ。」ときわめて断定的に一定の結論を与え方向づけていることが窺える。しかもK2からの連絡で帰宅した証人K1の証言によると「私が聞いたら『けさ』と言ったが、妻が『けさかね。けさじゃなかろうがね。』と言ったら『ああそうやった。きのうきのう』と言った。」というのであるが、かかるK2の質問方法が同女からはたして正確な記憶喚起がなされたうえでの肯定的返答を導き出したものであるかはきわめて疑問である。また、KがK2に対して一度は「きのうの朝」であることを肯定しながら時間を異にしてK1から再度尋ねられた際、またもや「けさ」であると述べていることも釈然としないものを感じさせる。蓋し、前掲各証拠によれば、被害者宅は精米所であって早朝の来客もまれなことではなく、被害者自ら精米所の出入口を開閉することが時々あったことが認められるのであって、母親が「きのうの朝」と示唆する根拠になったところの「戸をあけてやる」行為は、両親の覚知していない状況においてもありうることを考えれば、「けさ」戸を開けてやったことを窺わしめる積極的な証拠はないけれども、しかしかかることがまったくなかったと断定するだけの証拠もないからである。いずれにしても、Kが「きのうの朝、戸をあけてやったとき来たおじちゃん。」と言ったことを根拠にKの父母は犯人を被告人として想定し、Kに対し犯人の顔形などを質問しているのであるが、右質問において暗示や誘導的質問をなしたであろうことも充分考えられるところであり、被害を告白した当初は被害意識も希薄で犯人の顔形や日時の記憶も漠然としていたKが右暗示や誘導的質問によって、同女が当日被告人と出合っているだけに、真偽の判別をはなれ犯人像として被告人を想起した虞は充分予想されるところである。加えて父親が「今からおじちゃんを迎えに行ってくるからええね。」とあたかも犯人を連れてくるかのごとき予告をなしたうえで被告人を連れ戻り、「いたずらしたおじちゃんはこの人かね。」と示された場合に、Kがこれを肯定したとしても、かかる予断を与えたうえでの認識に過誤が伴なう危険はきわめて大きいといわざるをえない。もっともこの点につき母親たる証人K2は「予告なしに被告人を連れて来たのに、Kは被告人を見て直ちに『このおじちゃんに間違いない。』と言った。」旨供述しているが、この部分は前記証人K1同Kの各証言内容に徴し措信しがたい。むしろKは受動的に「うんうん。」と頭を上下して肯定していたにすぎないことが認められる。のみならず、前掲各証拠によると、Kが被告人と面接したのは午後八時頃のことで屋内には螢光灯がつけられていたことが認められるところ、このように被害を受けたときとはまったく異なる状況のもとで被告人との面接がなされて、当時六歳の幼児が「きのうの朝来た人」との判別以上に「いたずらした人」との判別まで正確になしえたかは疑問である。さらに当初冗談話のうちに被害の告白をなしたKにとって、母親に詰問され、次いで父親に質問を受けたうえ、第三者たる被告人に面接させられる事態にまでなろうとは、被害を告白したときの状況からみて予想だにしなかったできごとと考えられ、かかる心理状態のもとで「嘘をいったらつまらんぞ」とか「いたずら人はこのおっちゃんかね。」などと父親に念を押され、あるいは尋ねられた場合、幼児の供述において対話者間の心理的動向がきわめて重要な影響を与えることに鑑みれば、子供として父親に迎合するような態度をとらざるを得なかったのではないかとの疑問もいだかれる。以上みたとおり、Xが被告人を犯人して特定した過程には、その精確性を担保する配慮が欠落しており、かかる状況のもとでXのなした犯人の特定には充分の信頼を措くことができないものといわざるを得ない。

第七、証人Kの証言内容および証言に至るまでの過程に存在する疑問点は前記説明したとおりであるが、証人Kの証言のほかに、被告人が赴いた時本件犯行がなされたのではないかと疑わしめる証拠があるか否かについて検討してみることとする。

(一)  検察官は、前記証人K2が「被告人は夕方米を取りに来たとき『朝、弟が持って来た米はこれかね。』と言った。」との証言をもって、被告人が前記言動に出たのは犯行時Kのほかに直接自分の姿を目撃した者はなく、家人は声だけしか聞いていないので、弟だと言えば犯行が発覚しないで済むと考えたからであると主張する。惟うに、被告人において「弟が持ってきた米」と言ったところで、被害が発覚すれば弟に右事実につき尋ねられるであろうし、そうなれば被告人の嘘言は容易に露見することであり、また発覚を防止するためとはいえ、弟に罪責がおよびかねない右言辞を吐くことはきわめて不自然なことである。しかも被告人は父親K1とは旧知の間柄であり、当日早朝の両者の問答においてK1が被告人の声を聞いて被告人であるとわかったと同時に、被告人においてもK1を含む家人がこのように判別したであろうことは十分承知していたはずである。のみならず前記証人K1の証言によれば、被告人は右K1から「きのうの朝、米を持ってきたのは誰れか。」と尋ねられたときには、躊躇逡巡することなく即座に「俺だ。」と返答しているのであって、そこには事実を隠蔽したり作為を加えようとする態度はまったく窺われない。かかる諸点からすれば、証人K2がこの点につき殊更虚偽の証言をなしているものとは認めがたいが、被告人が米を取りに来たときに、その言動をとりわけ意識していたわけでもなく、また商売柄多数の顧客と接する機会の多い同女にとって記憶ちがいを生じあるいは聞きちがいをすることは充分考えられ、前記証人K2の証言はそれ自体にわかに措信しがたいところである。

(二)  検察官は、Uが検察官に対する供述調書において「週刊誌から目をはなしてふと見ると、被告人が精米所の反対側で車の方向とは反対を向いて小便をしているような恰好をしていた。よく道端で立小便をする人がありますが、丁度ああいった恰好でありました。実際に小便をしたかどうかははっきりはわかりませんが、両手を前にあててズボンの前ボタンをあつかっているような恰好であったことは間違いありまません。その時の状況を図に書きましたから参考にして下さい。」との供述をなしていることをもって、被告人が精米所を出て車と反対の方向を向いてズボンを扱っている恰好をしていたことは、前後の情況から考えて犯行後精米所を出てズボンのボタンをはめていたものと認められる旨主張する。この点につき証人Uは「何をしていたかはよくわかりません。うしろを見ていないから。」と証言し、かつ右供述調書の記載については「警察における取調の段階において、時間のことばかり尋ねるので立小便をする位の時間があったことを言う積りであったのに、立小便をするような恰好を見たというように言わされたものであり、検察官に対しては警察において述べたことをそのまま供述した。」旨証言している。惟うに右検面調書は警察での取調の影響を受けているものと考えられるところ、右証人Uの証言および第二〇回公判調書中の証人Hの供述部分によれば、警察官はUに対し被告人が犯行を自供したかの印象を与えたうえでUに対する取調をなしていることが窺えるのであって、かかる状況のもとで自己の供述に何らの利害関係をもたないUが取調官による誘導的質問に迎合して真実に反する供述をなす虞は充分考えられるところである。証人Hの証言によれば、Uを取調べるに当っては時間的経過を聞き出すことに主眼をおいていたことが認められ、証人Uが証言しているように、その際Kのいう逃げるように自動車に乗ったとの裏付を取るための追及がなされ、立小便をするぐらいの時間があっただろうとの誘導のもとに前記供述内容に変容されていたことも充分首肯できるところであり、検察官に対する供述調書の信憑性には疑問をはさむ余地がある。

(三)  検察官は、父親K1がKのうがいを目撃している事実をもってKの被害を裏付けるものである旨主張するが、証人K2の証言によって明らかなように、Kの朝のうがいというのはきわめて日常的なものであってとくに本件犯行に結び付く特徴的な行為ともみられず、そのことから直ちにその日に犯行があったものと推認することはできない。

(四)  被告人の捜査官に対する供述調書によれば、「トランクから米袋を出すとき、トランクが小さいため紙袋にかけた藁縄をゆるめたので、精米機の横に置いてからその縄を締め直し、つぎに精米所の前に置いていたもう一つの米袋を運んで置いた。縄を締め直したので手間どった。」旨供述しているところ、右供述が犯行場所における時間的経過につき被告人が弁解している唯一のものであるが、この点につき殊更虚偽の供述をしているとも考えられず、また充分ありうることで不自然さも認められない。

第八、なお最後に、被告人が本件犯行を敢行したとすれば、早朝の出勤途中において、精米所出入口が板戸一枚(幅約九〇糎)で遮断されているとはいえ、約二米の至近距離に停車中の車内に同僚があり、かつ家人が屋内に居ることを知悉し、また来訪者が被告人であることを家人に知られていることが予想され、加えて被害者が悲鳴をあげあるいは被害を直ちに家人に告知する虞の充分考えられる状況において敢行したことになるのであるが、かかる状況での犯行がまったくありえないこととは言えないものの、常識的にみて通常は考えがたいことである。にもかかわらず被告人が本件わいせつ行為におよんだとすれば、被告人の性格に異常な徴候があるのではないかとの推測が可能なところ、鑑定人M作成の鑑定書によれば、被告人は極く普通の異性愛にもとづいた性欲を持ち性的満足を得ているものであり、異常性慾とか倒錯的な代償満足を求める傾向はなく、受動的消極的な性格の持主であることが認められ、本件犯罪との親和性はほとんど存在しないことが窺える。

第九、結語

以上の次第であるから、本件が被告人により敢行されたものではなかろうかとの払拭しきれない疑惑は最後まで残るが、さりとて、被告人と本件犯行との結び付きについて疑いをさしはさむ余地のない程度に確信を生ぜしめるような証拠を見出すこともできない。結局「疑わしきは被告人の利益に」の原理に従い、刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の宣告をする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永松昭次郎 裁判官 岩井正子 大山隆司)

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